ひとつには、飛田は取材拒否の街だからである。「ノーピクチャー」の貼り紙がされ、写真を撮ろうものなら罵声が飛び交う。何を尋ねても「いらんわ」と断わられ続ける。それは“やってはいけないこと”を地域ぐるみで行なっているという思いからだと本書は綴る。どの店も広告を出さずに、公式ホームページも開かずにひっそりと営業しており、マスコミにたまに登場する飛田は「古き良き花街情緒を残す町」という紋切り型の紹介が多かった。
そしてもうひとつは、飛田を取材すればするほどその輪郭が溶け出し、曖昧になっていくからではないだろうか。
飛田は経営者、「おねえさん」、「おばちゃん(曳き子)」の3者で成り立っている。著者は友人に料亭のアルバイトの面接を受けてもらったり、話を聞かせてくれる相手を募集する自作のビラを撒いたりするという地道な努力を重ね、3者の話を聞き出した。
さらには飛田と関係の深い暴力団をアポなしで尋ねて求人の仕組みを聞いたり、警察に「売春が行なわれていることが明らかな飛田をなぜ取り締まらないのか」と正面から疑問をぶつけたりするなど、読者がハラハラするような果敢な取材に挑む。大きな力を持つ飛田新地料理組合にも通い、橋下徹前大阪府知事が組合の顧問弁護士だったというつながりも知る。
その取材方法や筆致はどこか初々しさに溢れ、著者の描く世界にどんどん魅せられ、一緒に旅をしているような気持ちになる。
だが、丁寧な取材を重ねてもなお、見えてくる光景はどこまでいっても点でしかない。
〈人は多面体だ。経歴を問われ、答える時、軸足をどこに置くかによって、いかようにも話すことができる。自分を正当化するなり、卑下するなり、微妙な創作を他意なく加えがちだ。誰だってそうだ〉
本当かどうかわからない話を繰り返す飛田の人たちを著者はそう評するが、それは飛田という街も同じだ。搾取と暴力が蔓延しているなかにも静かな思いやりや助け合いがあり、〈この商売をして、よかったと思うことは一つもない〉というほどの絶望のなかにも剛健なまでの生のきらめきがある。何かが「わかった」と答えを切り取ると、嘲るかのようにすぐに別の顔が現われる。安易な結論でまとめることなく言葉で表わすことを拒む街の姿を描いた手並みは鮮やかで、知らず知らずに飛田の底なしの魅力に呑み込まれていく。